ご要望に合わせて選べる
基本の葬儀プラン
斎場案内センターがご提案する基本の葬儀プランでは直葬・一日葬から家族葬、そして一般葬まで幅広く対応致します
越谷市エリアの葬儀社
【斎場案内センター】
斎場案内センターは、越谷市エリアにおいてお寺が直接運営している葬儀社です。
当社の理念は、故人様、そしてご家族・ご参列者様みなさまの想いが、
葬儀として一つの形になって行われる事にあります。
現代は様々なスタイルの葬儀が執り行われております。
多種多様なニーズに対応しつつも、伝統として守るべき形を残し、
参列者皆様の心に残り続けるような葬儀になるようサポートいたします。
越谷市周辺のお葬式なら
お任せ下さい

お葬式をお考えのすべての皆さまがご利用いただけるセレモニーホール『光輪法殿』にて
家族葬・一日葬・直葬とお客様のご希望の葬儀を執り行うことができます。
通夜から葬儀・葬式にかけての一連の儀式は親愛なるご家族に
最期の別れを告げる場でございます。
それと同時に、故人様の最期の言葉、無言の想いに耳を傾け、残された
ご家族・ご遺族の皆様自身の生き方、死に方を学ばせて頂く機縁となります。
越谷市有数の
充実した葬儀設備
斎場案内センター直営のセレモニーホール『光輪法殿』では、式場・お清め所・宿泊可能な控室・冷蔵設備を完備した御遺体安置室と充実の設備を完備しております。埼玉という地域性を考えて70台駐車可能な大型の駐車場をご用意しております。
またお寺、霊園が併設しているので、葬儀後の年忌法要やその後会食、お墓参りといったすべてを同敷地内で執り行えるように設備しております。
葬儀を行う事は人生に何度も経験がある事ではありません。当社では緊急の事でお困りの際や、事前準備として葬儀全般の事を調べたい方などのご相談もお受けしております。
どうそお気軽にお電話または直接お越しいただいて、ご相談をお受けいたします。








変わりゆくお葬式 その背景
お葬式の起源はいつぐらい
現在わたしたちが一般的だと考えているお葬式という形は、江戸時代にはじまり、そして戦後に全国的に定着したものです。葬儀そのものというのは長い歴史を持っていますが、そのスタイルが確立したのはじつはかなり最近になってからのことなのです。江戸時代以前は戦乱も多く、また生産性の低さや衛生状況の悪さなどから死亡率が高くそのため葬儀の文化などはそこまで発展しませんでした。しかし平安の世が続いた江戸時代、服飾、芸能、建築などの文化とともに葬儀の文化も発展を遂げ、その時に定着したさまざまな葬儀の方法が現在にも残っているのです。
日本人のもつ葬儀のイメージとは
文銭や北枕など現代に残る多くの風習はこの時期につくられました、江戸幕府が行った寺請制度の影響もあり、日本の葬式はほぼ仏教式で行われるようになりました。そのため葬儀を行うのは寺であるという概念が生まれ、それが戦後まで続いたのです。葬儀というものを日本人が想像したときに、お寺で和尚さんが木魚を叩いている絵が頭に浮かぶのはそうしたことから来ているのです。そうした中で戦後にお寺の葬儀という概念が崩れていったのは、人口の流動性が高くなったからです。
寺から葬儀社へ その変化の原因とは
人口の流入や流出が激しくなると、その地域に根付いて葬儀を行っていた寺社が葬儀を行うのが難しくなりました。墓地の管理システムや宣伝、顧客管理など今まで行っていなかったことを行うことによって機能不全を起こしたのです。結果として葬儀は葬儀社というものが行うようになり、画一した一般葬というものが日本中に定着していきました。しかし、そうした一般葬よりも現在では家族葬が好まれるようになってきました。家族のみで行うこの葬儀は、現代社会という合理化の進んだ社会に適した方法だったのです。地域差はありますが現在では、家族葬の割合の方が高い場所が多くあります。
満足のいくお葬式を行うために
「お寺の家族葬」は「お寺の葬儀屋さん」である宗教法人善源寺光輪事業部の行なっている葬儀です。大切な人とのお別れを、思いを込めて執り行えるようさまざまなプランをご用意しております。各種葬儀が可能な設備を有しており、埼玉県東部地域の越谷・春日部・吉川周辺地域での葬儀に対応しております。また家族葬のみならず、直葬や一日葬、無宗教葬などを行うこともできます。喪主様のご都合に合わせて、満足のいく葬儀を行えるよう日々尽力しております。埼玉県東部地域で葬儀を行なう場合はぜひご相談ください。