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生き物の死と進化そして葬儀の変化とは

寿命と進化 果てしなく続く伝言ゲーム

焼香

生き物は生きている以上必ず死が訪れます。その起源は当然のことながら人類が発生するよりも遥か昔からあるものです。現在の科学では死というものの定義は細胞が壊れるということを意味しています。原始的な生き物であるアメーバやゾウリムシなどは外界との境界線である細胞壁が壊れるとその生涯に幕を閉じます。何かが亡くなるということは、細胞が死ぬことであり、外界との境界線が無くなるということです。もともとの原始的な生物には寿命がありませんでした。生き物に寿命が存在するのは細胞分裂を行なうたびに遺伝子の端が少しずつ短くなっていくからです。遺伝子が短くなっていけばそれだけコピーが行なえなくなっていきます。それに対して単細胞生物は細胞分裂を行なわないため、寿命が存在しません。しかし、変化をしていかない生物というのは、大きな変化があったときにその種ごと絶滅してしまう可能性があるのです。寿命を持つ生き物は、ある種劣化コピーを繰り返して生きていると言っても過言ではありません。子孫を残すというのは遺伝子の伝言ゲームなのです。伝えられる情報があまりに複雑で多量の情報であるため、かならずその伝言ゲームには齟齬が発生します。またその情報を両親から得るため、必ず同じ人間を複製することはありません。こうして発生したミスコピーである子どもたちは、両親が持っていなかった特長を持ち、新しい環境に適応する可能性を持っています。キリンの首がミスコピーで伸びていき、結果として環境に適応したように、わたしたち人類も同様に将来的に環境に対応できるようにミスコピーを繰り返しているのです。その代償として自然のシステムという名の神が与えたのは寿命でした。多くの生き物は環境に適応するためのミスコピーという武器を手に入れるのと同時に寿命という制限も得たのでした。

しかし、寿命という時間制限があることによって、人類そのものという種の単位で生き物をみた場合に停滞することが少なくなるという利点もあります。死は常にわたしたちとともにあり、どんなにそれを退けようと思っても現代の科学ではわたしたちは死を避けることはできません。本当の意味で死の影響を受けるのは、死んだ本人よりもその周りにいる人間たちでしょう。周りの人間はその人物の存在を喪失することによって、大きな影響を受けます。それまで存在していた固有の人間がいなくなり、その周りとの境界線をなくしてしまうことは何かしらの変化を促すのです。遺された人間は死んだものの存在の大きさを知り、そしていつか訪れる自分自身への死へ思いを馳せるのです。死者への思い、そして死そのものへの思いからわたしたち人類は葬儀を行い、墓標を作って供養を行なうのです。

葬儀の役割とは 社会との関係性の清算

焼香

葬儀を行う理由は大きく分けて五種類あります。ひとつめは故人の社会との関係性を清算する役割です。

人類の原始的段階では狩猟と採取を行い日々の糧を得ていました。貯蔵する能力もそう高くなかった当時、人類はその活動時間のほとんどを食料の確保に費やしていました。そのころの富の差を分けるものとしては、狩猟や採取の知識と技術くらいしかなかったのです。そうした知識や技術を持つものはその集団の中で指導者的な役割を担いました。人々は生きていくのに協力するしかなく、そこに小さな社会が発生したのです。

人類にとって革新的だった発明として農耕の発明があります。農耕の発生により人類は食料を貯蔵することが可能になりました。貯蔵をするということは貯めている分に差ができるということを意味します。そしてそれは土地の良し悪し、技術の差などによって差が開いていきます。日本の場合、弥生時代に稲作が大陸から伝わってきたことが貧富の差を発生させる要因となりました。稲作の伝播によって食料の貯蔵量の差がはっきりと現われていったのです。持てるものはその富をどんどんと増やしていき、社会の中でより重要な役割を果たしていく。こうして支配者階級と被支配者階級に人々はより分けられていきました。くにや村は拡大を続け、時には他の集団と戦いを繰り広げさらに拡大を続けていきました。社会はその中のルールの維持やインフラの整備のためにその構成員から収入を徴収しました。これが租税の始まりです。租税の管理には戸籍が必要になりました。どこにだれが住んでいてだれと婚姻関係を結んでいるのか、また年齢が何歳で収入はどれくらいあるのか、そうしたことを管理する必要があったのです。もちろん古代の戸籍は精度にかけるものがほとんどでした。日本の古代の戸籍の中には女性の割合が七割を超えているものもあります。これは人頭税が男性の成人に最も多くかけられ、女性の場合軽減されたということがその背景にあります。しかし、その社会や集団の中にどれだけの人口がいるのか、そして誰が亡くなりだれが後継者なのかということを社会的に示すために葬儀が古代より行なわれていたという事実は確かでしょう。

遺体を処理するという役割

葬儀のふたつめの役割として処理的な役割があります。処理的な役割というのは遺体に対する物理的な処理についてです。そもそも葬儀や埋葬が行なわれるようになった一番の理由は遺体の処理という意味合いが大きいのです。生き物は死ぬとその恒常的な維持機能が停止します。例えばそれまでバランスが取れていた胃液と胃の粘液のバランスが崩れます。粘液が分泌されなくなり、自身の胃を自身の胃液で溶かしてしまうのです。その他にも生命活動が行なわれていたときには起こりえなかったことがさまざまなことが起こります。それは死斑の発生や死後硬直などです。外的なものの侵食が始まり、ひとつの個体が外的なものとの境界が崩れていくのです。遺体は分解者にゆっくりと分解されていき、自然に還っていきます。その過程で遺体は腐敗していきます。腐敗はそれまでひとつの生命として活動していたものが変わり果てていく過程です。周囲の人間はその変化に原始的な恐怖を感じたのでした。その原始的な恐怖を遠ざけるために埋葬が行なわれるようになったのもあるでしょう。

日本の神話には腐敗に関する描写がはっきりとされています。日本という島々を作りそしてこの世の多くのものを作り出したイザナミが、死してあの世にいったときに、その遺体は腐敗し変わり果てた姿になっていました。兄でもあり夫でもあるイザナギはそれを見て逃げたしたという逸話があります。古代の人間には腐敗していく過程がなぜ起こるのか分からず、少しずつ分解されていく遺体を見てあの世というものを想像しました。土葬を行なったときに土に埋めてあった遺体がなくなるのを見て、それがあの世にある何者かの仕業であると考えたのです。そのため世界中の多くの神話における冥界神は土や農業などを統べるものであることが多いのです。このようになぜ分解が行なわれるのか、なぜ腐敗が起こるのか、古代の人々が知る由はありませんでした。

もうひとつの処理的役割をしなければならない理由として、遺体が土壌汚染や疾病などを引き起こすことがあります。遺体と疾病に関しては長い間因果関係が発見されていませんでした。埋葬に深い関心がなかった地域では遺体を山積みにして放置している地域もありました。そのためそれらの遺体が疾病の原因になることもありました。日本の場合埋葬される地域というのは基本的に居住地から離れた場所が選ばれることが多く、都市部、特に関西地域では早くから火葬が導入されていたため、海外のように規模の大きな感染症に見舞われる機会は少なかったと言えます。また、近現代においても火葬率が世界的に高かったためそうした感染症が広がることが少なかったのでしょう。

このように亡くなった人の変わりゆく姿を見ないために、そして疾病の拡大を防ぐために遺体の処理を行うという観点で葬儀は行われるようになりました。

死後の世界を説明する

みっつめの葬儀の目的として宗教的な役割があります。死後の世界とはどのようなものなのか、死んだあとの人の意識はどこに行ってしまうのか、そうした疑問は現代の科学を持ってしても解決できない疑問です。その問題が解決できない大きな要因は完全なる死から帰ってきた人間がいないからです。死後どうなるのかということを伝えることができる人間はこの世にいません。そのため世界中にある宗教のほとんどはその死後の世界についてなんらかの説明を独自の方法でしています。その中でも多いのは、生前の行いによって死後の行き先が変わるという考え方です。

人間は死したのち、なんらかの形で審判を受けその結果によって天国や地獄と呼ばれる場所に振り分けられます。この点に関しては恐らく道徳的な戒めを宗教の教えが持っていたことにあるでしょう。その宗教における戒律を守らなければならない理由として、こうした死後の世界を利用することは非常に有効な方法だったのです。そうした審判に対する行動としては、生前の本人の行動以外に、本人の死後遺族が行ったことがそれらに影響を及ぼす場合などもあります。例えば、仏教における忌日法要などがそれにあたります。

仏教の教えの場合、死者の魂は四十九日後に閻魔大王によって裁かれます。それまでの期間遺族は故人を七日ごとに弔うことによってその裁判での判決を有利に進めることができるのです。また、その裁判が終わったあとでも年忌法要を行なうことによって死者の霊魂を荒魂から和魂へと昇華させ神にすることができると考えたのでした。日本や中国の古い話にはこうした逸話が多く、死者の魂をきちんと弔わなかった場合なんらかの形でたたるという話が多いのです。かの有名な菅原道真もそのような話があります。

学者としては非常に優秀だった菅原道真ですが、その出世の中で有力貴族に妬まれ、九州の大宰府に流されていきました。おそらくその無念はかなりのものだったのでしょう。無実の諫言で都を離れることになった菅原道真が京都の自宅で歌った「東風吹かば匂い起こせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」という歌は非常に有名で、その歌に歌われた梅の木は道真を思って太宰府まで主人を追いかけたといいます。このように無念の中、都から遥かはなれて死んでいった菅原道真はその死後、さまざまな凶事を都に引き起こします。その結果、人々は道真を神として祭り、わたしたちは現在でも学問の神様として菅原道真にお参りをしているのです。このように人は死後に霊となり現世を祟ります。しかしその一方で神として祭り上げられたものは人々に現世利益をもたらします。そうした古来からの信仰もあり、わたしたちは多くの死者の霊を葬儀や供養という形で慰めているのです。

現在最も重要視されている感情面での役割

焼香

よっつめの役割は感情的な整理をする役割です。人の死というものは少なからずその周囲の人間の感情に影響を及ぼします。たいていの場合、そうした感情というのは遺族や親しい友人知人の悲しみです。葬儀はたいていの場合遺族がそれを取り仕切ります。なぜ悲しみに一番暮れる遺族がその他の人を歓待しなければならないのか、ということに疑問があるかもしれません。実はそこには意図的に遺族を忙しくしようという意図があるのです。人間忙しくしているときには気がしっかり張ります。葬儀を行って人前に出ることによって家族の一員を失った喪失感を紛らわし、そのあとにつづくさまざまな手続きに対応することができるのです。特に現代社会では人が死んだときにしなければならない手続きは山のようにあります。たいていの場合病院で亡くなるため、その手続きをしなければなりません。また、葬儀を行わなければならないため、葬儀社や宗教者にも連絡を取らなければなりません。葬儀の取り仕切りや死亡届の受け取りと提出。したい火葬許可書や埋葬許可書の提出。その後の法要の日時の決定や納骨の日取りなどを決めなければなりません。また散骨や永代供養を行なう場合はその段取りもつけなければなりません。こうしたさまざまな手続きは社会的に必要なものです。しかしそうした社会的な役割である一方である意味遺族の悲しみを紛らわせる方法のひとつなのかもしれません。

死という概念を学ぶ場所

最後のひとつは教育的役割です。死という概念を次の世代に伝え、葬儀という儀式を引き継いで行くために、葬儀そのものをきちんと次の世代に見せることがその役割です。かつて葬儀はその共同体で行う儀式でした。その儀式には詳細のルールが定められており、それを取り仕切る講ごとにさまざまな特色を持っていたのです。現在では専門の業者や公的施設がそれを担っていますが、かつては集落ごとに講などがありました。その講には葬儀についての手順やしきたりなどが詳細に書かれていました。葬儀費用の積み立て方法、葬儀を行う場所や埋葬方法、通夜振る舞いの食事の献立や告別式の受付係の決め方まで決められている地域もあります。そうした詳細なルールが必要な背景には葬儀自体が定期的に行われる祭りのような儀式ではなく突発的に行なわれる儀式だったということがあります。祭りなどの場合、毎年決まった時期に行なわれます。そのため祭りの行い方はその年毎に伝えることができるのです。また、準備に時間が掛けられるため細かいルールを決めておかなくてもその場で相談をして決定すればよかったのです。しかし葬儀は長く行われないこともあれば頻繁に行なわれることもあります。また、その実施はその葬儀の性質上速やかに行なわれなければなりません。そのため誰もがルールを共有し葬儀を執り行えるよう、その実施方法は詳細まで決めておかなければならなかったのです。近現代になり、そうしたルールは口伝ではなくはっきりと明文化されそれが最近まで伝えられて来ました。そうして伝えられた葬儀の方法は20世紀後半までマイナーチェンジを続けながら存在していたのでした。

また死という概念を伝えるためにも葬儀は必要でした。忌むべき存在として死というものが扱われている以上、死は日常から切り離された存在でした。子どもたちが死という概念を学ぶための舞台として葬儀は存在していました。何が原因で人は死ぬのか、死ぬとどうなるのか、死に対してどのような態度をとるべきなのかということを、葬儀を通じて学んだのでした。現代のように映画や漫画、小説などでの擬似的体験ができなかった時代には死というものは実際目の当たりにしてでしか知ることができなかったのです。現在のように人口の流動が少なかった時代には、情操教育やコミュニケーションスキルの向上は、地域の共同体で行なわれるものであり、さまざまな文化がそこで伝えられていたのです。

海外における葬儀の事情

焼香

このように人間という社会的動物が葬儀によって担ってきた役割はたくさんあります。特に日本という国は世界的に見ても葬儀に重きを置く国でした。そしてそれは今でも変わらず文化としてそこにあります。特に費用の面でそれは顕著で欧米などの場合、葬儀の費用は日本円にして十万円くらいから高くても数十万というのが一般的でしょう。しかし日本では一桁違う百万円以上の費用が平均とされています。ひとつひとつの項目を見てみると費用に関して日本と海外ではそう大差はありません。しかし祭壇の料金や戒名代、弔問客への食事代や返礼品の代金など、海外ではあまり見られない代金がその項目にかかれていることが多いのです。そのため代金が海外の十倍ほどになっているというのが日本の現状です。

では海外では葬儀はどのように行われているのでしょうか。葬儀というものはその背景に宗教が必ずと言っていいほどあります。そうしたことから考えると、同じ宗教、同じ宗派であれば葬儀は同じ形式で行なわれると思われがちです。しかし実際のところは地域的なものが大きいのです。隣接する国で同じ宗派であればほとんど葬儀の方法は変わりません。しかし、離れた地域であれば宗派が同じであっても形式は全く異なるものになります。例えば北米のアメリカとカナダでの葬儀の方法は土葬が主たる方法です。これらの地域では復活信仰が主流であるため火葬はあまり行いませんでした。現在でもアメリカでは土葬の割合が半数を超えています。同様に隣国であるカナダも土葬の割合が半数を超えていました。しかしアメリカとは違いカナダでは近年その割合が逆転しています。北米での葬儀そのものの形式に関しては他の国とそう大差はありません。北米では土葬を行ううえで必要になってくるエンバーミングという処置が特徴的です。この処置は簡単に言うと血を抜く処理です。エンバーミングを行なうことによって腐りにくくなる効果や感染症を引き起こしにくくなる作用、また土地の汚染などを軽減する効果があります。しかしこの処理をするためには多額の費用が掛かります。また墓所とする土地の購入費用なども考えた場合、火葬に比べてかなり価格が高くなってしまうという点が問題なのです。そのためカナダでは若者を中心に土葬から火葬に埋葬方法を変更する人が増えています。現在は火葬のパーセンテージがわずかに過半数を超えた程度ですが、現在の若者が歳を経てより若い世代が社会の中心となったとき、火葬は北米でも主流の埋葬法になるのではないかと思われます。

またフランスでもカナダと同様な現象が起こっています。現在のパリでの土葬用の墓地の一区画の購入費用はおおよそ二百万円です。火葬の場合の一区画購入費用が四十万円弱であることを考えるとどれほどその価格に差があるのかがわかるでしょう。そのためこうした経済的な理由からフランスでも火葬の割合は上昇しているのです。ちなみに日本の場合、二十三区内の霊園は一区画最低でも七百万円くらいがその購入価格です。もちろんこれは火葬用の土地の使用権の価格です。おそらく海外の人からすればその永代使用権の購入価格の高さは信じられないものでしょう。しかしわたしたちはそれを当たり前のものとして受け入れて生活しているのです。

またドイツやオーストリアではそもそも葬儀に対する関心が非常に低いことがあります。葬儀に参加するといってもその会に最初から最後まで参加する人はほとんどいません。ほとんどの人は顔を出すくらいで帰ってしまうのです。最初から最後まで参加するのは、葬儀を取り仕切る宗教者と墓場や葬儀場の管理人、そしてごくごく一部の親族くらいでしょう。

このように海外の葬儀の方法は、日本人からすると少し信じられないくらいに簡素なものだと感じられるかもしれません。しかしそうした感覚というのは、地域や文化の中で年月を経て培われたものであり、一概にこうするべきであるという定型の正解は存在しないのです。

葬儀大国日本、その由来とは

焼香

では、日本の葬儀や埋葬方法はどのようにして現在のようになり、そしてどのようにしてこれから変化していくのでしょうか。日本の葬儀を語るうえで必ず出てくるのが寺請制度です。江戸時代に国策として施行されたこの法律は実は現代のわたしたちの葬儀にまで大きな影響を与えています。この寺請制度という制度は、江戸幕府によって出されたものでした。内容は、国民はすべてどこかの寺院に仏教徒として登録しなければならないというものです。この制度の主たる目的は、幕府が宗教統制を行ないたかったということがあります。当時の日本には主に仏教、神道、キリスト教という宗教が信仰されていました。キリスト教は海外からもたらされたばかりで、その信徒による島原天草一揆は幕府を驚かすのに十分な出来事でした。神を祀り、その神の子孫が天皇家であるとする神道。人民は神の下で皆平等であるとしたキリスト教。このふたつは江戸幕府にとって非常に驚異的なものであったため、幕府はそれ以外の主要宗教である仏教を使ってそれらの影響を逃れようと考えたのです。結果として寺院は幕府の出先機関のような働きをすることになりました。その周辺にある地域の人民の宗派が書かれた宗門改め帳が作られ、それが戸籍のような役割を果たしました。登録した先の寺院は菩提寺、登録をした人民は檀家と呼ばれました。結果として葬儀はそれぞれの菩提寺で仏教式の方法で行なわれるようになりました。そしてそれが長い江戸の間つづいたのです。明治に入り寺請制度は廃止されました。しかし葬式は仏教式でという習慣は日本人に根強く残ったのです。自分の家はここの寺の檀家である、という風習が残り、葬儀、法要、墓地に関してはその菩提寺に依頼するというのが当たり前のことであるとされてきました。しかし人口の流動化が進むにつれてそうした菩提寺と檀家の関係は崩れていきました。物理的な距離感はそうした葬儀にまつわることを管理するには都合が悪かったからです。その後、高度経済成長期ごろから急激に増え始めたのが葬儀社でした。葬儀社はそうした菩提寺難民となった人々の葬儀を引き受け、葬儀を行う業者でした。そうした葬儀社によって葬儀が行われていき、それぞれの地方で独自色を持って講や菩提寺によって行なわれていた葬儀は葬儀社によって画一的に行われるようになったのです。

こうして葬儀が寺院によって行われる宗教的なものから、葬儀社によって行なわれる経済的なものへ変化していきました。そのサービスである葬儀はさまざまなバリエーションを持つようになっていったのです。もともと講や菩提寺によって行なわれていた形式に近い葬儀は一般葬と呼ばれるようになり、本来二日かけて行なわれていた葬儀を一日で行うようにした一日葬、弔問客の参列がなく家族のみで行なう家族葬、お通夜や葬儀と告別式を行なわない密葬など、それまでは一般的に行なっていなかった方法での葬儀がプランとして提案されるようになっていったのです。その他にも現在では無宗教葬や音楽葬などさまざまな形式での葬儀が行われています。おそらくこれからの葬儀の傾向としてつぎつぎと新しい消費者のニーズに合わせた形式のものが作られていくのでしょう。

これからの日本における葬儀のシステム

埋葬の方法についても葬儀の形式と同様に変化していくでしょう。菩提寺と檀家のシステムはそのまま墓地に関するシステムとしても成立していました。しかし、そうしたシステムが機能していない現在多くの人が墓所を購入する際に困難に直面しています。また、先に挙げたように日本の霊園は海外とは比較にならないほど高価な価格で取引されています。また、霊園や墓地の利用は維持管理費を必要とするため、現在の少子高齢化という社会にそぐわない状態になっているのです。そのため永代供養や散骨といった子孫に残さない方法で供養を選択する人が増えています。樹木葬や海洋葬、バルーン葬や宇宙葬など多くの散骨方法が現在行われています。

変化していくということ

生殖のある動物において、世代が交代していくことは世代間で伝言ゲームをしていくことでした。その伝言ゲームは完璧なものではなく、少しずつ間違えていくことによってよりその環境に適応したものに変化していくものでした。人間の文化も遺伝子の伝言ゲームのように少しずつ間違って伝えられていくことによって時代や風俗にあわせたものに変化しているのです。葬儀や埋葬に関するものもこれと同様により合理的になるよう、その目的に合わせた変化が起こっているのです。葬儀社の参入という、時代に合わせた変化は、葬儀をより時代に合わせたものに変化させていきました。葬儀の目的は根本として昔も今も変わりません。しかしそれに対する人々の思いの変化は確実に起こっているのです。生き物の死がその固体としての存在を失い、他のものとの境界線を無くしてしまうことにあるとすれば、ある意味葬儀というものもかつての古い意味での葬儀というものは死んでしまっているのかもしれません。

埼玉県東部での葬儀

焼香

光輪事業部は、埼玉県北葛飾郡松伏町にある宗教法人善源寺が運営するお寺の葬儀屋さんです。宗教法人善源寺は昭和51年の開山以来、越谷市、春日部市、吉川市、草加市、三郷市などの多くの葬儀を行ってきました。時代に合わせた葬儀を提供すべく、お寺の家族葬という形のサービスを提供しております。お寺での葬儀ではございますが、宗旨宗派を問わずご利用いただくことが可能です。もちろん家族葬だけでなく、一般葬や一日葬、直葬や無宗教葬など多くの葬儀の形式をご用意しております。また本境内の中には100名様収容可能な法要施設と70台駐車可能な専用駐車場を完備しております。

また本境内にある光輪霊園には総数520の区画のお墓があるほか、個別納骨したのち永代供養が可能な納骨堂や合祀形式での永代供養、通常のお墓での供養ののち永代供養が可能な方法や、樹木葬などさまざまな供養をお選びいただくことが可能です。

これから葬儀を行う方に満足をしていただくために、わたしたち光輪事業部は日々尽力しております。埼玉県東部地域で葬儀をお考えの際はお寺の葬儀屋さん光輪事業部に是非ご相談ください。

斎場案内センター 施設のご紹介

葬儀をお考えのすべての方にご利用いただける
セレモニーホール『光輪法殿』
洗練された空間と充実した設備で
あなたらしい最期の一時をご提案いたします。
光輪法殿外観
安置所
エントランスホール
菩提(式場)
沙羅(お清め所)
応接室
女性用トイレ
多目的トイレ

葬儀場へのアクセス情報

〒343-0106 埼玉県北葛飾郡松伏町大川戸2982-1地図を開く

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